はいた~い!こんにちは!
今日もお立ち寄り頂きまして
ありがとうございます!
沖縄本島最北端の泡盛酒造所、
田嘉里酒造所(たかざとしゅぞうしょ)から
やんばるの泡盛をお届けしている
池原あんこ【まるた娘】と申します。
※ちなみに、【まるた】とは
主力銘柄『琉球泡盛まるた』の愛称&
うちの酒造所の屋号みたいなものです。
酒造所の看板娘(←自分で言う)なので
気軽に【まるた娘】って呼んで下さいねー!
今年ももうすぐ終わりです。
この2015年をしっかり締める為に
まるた娘が『泡盛に興味を持ったきっかけ』を振り返っています。
11月は入院とお休みを沢山頂いたので考える時間がいっぱいありました^^笑
なのでまるた娘と田嘉里酒造所の事を
いろいろと書いてみようかと思います。
長くなるので何話かに分けてね(*^^*)
思い返せば、そもそも。
この田嘉里酒造所の2代目は
池原三郎(以下、サブヤンと呼ぶ)でした。
この人はまるた娘の祖父です。
そして、まるた娘の父(以下、まるた父と呼ぶ)は
サブヤンの長男として生まれました。
(私は、サブヤンの長男の三女として生まれました。)
この酒屋に世襲制度があるとして、
フツーにいくと、まるた父が
泡盛造りを手伝い、継いでいくだろう!
と思うのですが、まるた父は継いでおりません。
なにせ、サブヤンは子供が9人もいましたから。
(けっこう衝撃よね。)
田嘉里酒造所は昭和25年に
泡盛製造の事業を始めたけれど
当時は泡盛を飲むよりも洋酒の時代。
まぁ、厳しかったらしいんです。
サブヤンも酒を売るのは大変だったと。
今でこそ、酒造り一筋ですが、
昔は生活用品の卸・配達もしてたんです。
その他にもサブヤンは色々な事業をしながら
家族を養っていたそうなんです。
そんな生活の中で、まるた父は
小さい頃から田嘉里酒造所を手伝いたい!
なんてことは思っていなくて(笑)
給料が安定した『教員』になる。
という道を選んだんです。
そのほうが、家族の為になるから!と。
だから、私も小さい頃は
『酒造所はおじーちゃんのいる場所~』
ぐらいにしか思っていませんでした。
たま~に遊びに行くくらい。
まるた父が直接酒造りに関わっていないので
やっぱり全然興味ありませんでした。
『まるたー!!おじーちゃんがいつも飲んでるー!』
『泡盛』って言葉も知りませんでした。(笑)
▽そんな感じで暮らしていたのがこの頃
か、可愛すぎる・・・笑
酒造所の2代目、サブヤンの
一番下の孫として生まれ
それはそれは可愛がられてました。
毎日アイスクリームを与えられていた結果です↑。
当時の夢は『先生になること』
それが何で、今はこんなに
泡盛にどっぷりつかっているんだろう?
思い返すとやっぱり、
きっかけはあの時だな~と思います。
え?どの時?!と聞かれたら
ぶゎぁぁーーと一気に書きたいけれど
この話はまだ続きます。
ゆっくり書いていきますね~!
しばらくはまるた娘の自分史にお付き合いください^^
byまるた娘
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